資料17 操作的ということ

データ解析においては、あるデータを獲得するまでの過程に関連して「標識づけ」という概念を強調している。その概略を示すと次のようである。

データは自動的に得られるものではない。まず、データを得ようとする対象を、現実的に即物的に明確にしてかからねばならない。この対象について、実験・調査・観察・整理などの操作を行ってデータとして表現されうるものであり、その対象と測定の種類、測定方法、測定環境、測定条件によって異なってくるのである。この性格(=操作的)の上にたって、妥当性のある情報や知識の析出が行われると考えるのである。

具体的な例でいうと、例えばある人間集団について、一定の調査方法を用いて測定を行い、この結果をある目的のもとにさだめた目印−標識という−A、B、C、D‥によって表現することを考える。例えば、自記式の調査票により「自分で健康だと感じていますか」と質問し、非常に健康だと思う(A)、健康なほうだと思う(B)、あまり健康ではない(C)、健康ではない(D)、のいずれかで回答を求めるとすると、非常に健康だと思う、健康なほうだと思う、あまり健康ではない、健康ではない、が標識であり、それらがA、B、C、Dという記号によって表現されることになる。すなわち、集団の個々の人々が、測定によって、標識A、B、C、D‥のいずれかで表現されることになり、このことを「標識づけ」という。

従って、我々が得るデータは、調査(面接、観察、測定等を含む)という具体的な操作によって、調査対象に標識づけを行って得られたものであり、既にデータ自体が、それを獲得した方法によって性格づけが行われ、すなわち、ある種の判断が加えられていることがわかる。このことからすれば、先の「データ+判断=情報」という定義からすると、データを自分で獲得する場合、あるいは既に他者によって得られたもの(極端な場合、機械が測定した生体データ)を使用する場合のいずれにおいても、測定(獲得)という操作的性格が無視される危険性がある。同じデータであっても、操作の違いにより”データの性格”が異なることを常に意識化し、自身の経験・知識・知恵を生かし、そのデータに応じて、以降の妥当な分析(判断)を加えることが重要と考えられる。

つまり、すでに測定者によって性格づけられ判断が加えられたデータを出発材料とすると決め、これを加工したり集計したり、他の知見からの判断を加えたり、さらにデータ分析を加えたりして、その情報としての価値が付加されると考えるのが妥当であろう。

このように考えた上で、対象にかかわる知識を得るまでの過程における判断の意義、データとして表現するまでに至った測定方法・物差し(スケール)の妥当性、データを情報に変換するプロセスでの判断の意義、さらに、情報を知識に深める過程での判断について、看護事例にそって妥当な分析を加えることが重要な検討課題であると考えられる。また、価値の付与のプロセスが看護職間で共有される仕組みを明らかにすることも重要な課題であろう。

これに関連して、看護情報学における情報理論の適用の妥当性についても、看護の立場からの検討が必要であり、林の次の指摘は重要である。(林知己夫.数量化の方法.東洋経済新報社.1985.)

「情報理論(われわれは現在工学的なものにおいて特に通信のコーディングの問題について妥当性をもつものと考えている)における測度(注:エントロピーの考え方に基づく定義)が用いられることがあるが、これがわれわれの目的に対して、はたしてわれわれが内容的に表現しようとしている情報に対して妥当なものとなっているか否かを検討しなければならない。通信理論→ある工学的な意味をもつ量を情報と命名し→命名された名前「情報」をもとの意義から離れて自分流に広義に解釈し→定義式をいま自分の目的とする情報というものに対する妥当な道具と思い込む、といった誤りが多いのではないかと思われる。」

「情報理論で情報量というインデックスを用いるが、これは情報の物理的一面を数量化したものにすぎず、情報の意味内容を示しているものではない。しかし、これを拡大解釈し、これで内容のある情報の数量化と考えてうれしがっている人たちもいる。この情報量もそれに応じた使い方をすれば有効なものであるが。」