3.看護疫学の体系の考究と看護情報学の教育充実に関する提案

1)わが国における看護疫学(仮称)の体系試案の作成

(1)看護への疫学の応用について

 看護疫学を看護学への疫学/臨床疫学の応用と位置付け、「疫学および臨床疫学の方 法を用いて、ケアニーズや健康問題の分布とその関連要因を研究する看護学の一分野」 との定義を提案したい。看護疫学を実践する立場には、看護疫学研究を行う立場と看護疫学研究で得られた 知見を活用する立場が区別されよう。
まず、看護疫学研究を行う立場は、
 ・疾病の自然史に伴うケアニーズの変容の解明
 ・集団におけるケアニーズの頻度と分布
 ・ケアニーズの発生に関わる要因
 ・ケアの効果判定の実施と関連要因の解明
などをテーマとして疫学的方法に基づく研究を行うものである。
 一方、看護疫学研究で得られた知見を活用する立場は、
 ・看護の視点からみたハイリスク群を同定すること。
 ・臨床における意志決定の質を向上させること。
と整理できよう。
 次に、看護疫学の果たす役割を、患者個人を対象とする場合と健康者を含む集団を 対象とする場合に分けて整理を行う。いずれの場合においても、まず、疫学/臨床疫 学研究を通じて、
 ・ケアニーズの発生に関連する要因群(発生要因群と略)
 ・ケアニーズの変化(改善)に有効な介入方法や関連する要因群(改善要因群と略)
を明らかにし、これをデータベース化しておくことが前提となる。

@患者個人を対象とする場合

 患者個人を対象とする場合の疫学の役割を、看護過程にそって整理する。
・発生要因群と改善要因群に関する知識を活用して、アセスメントと看護診断の質の向上を図る。
・疾病の自然史に伴うケアニーズの変容を踏まえてケアニーズの予測を行う。
・エビデンスに基づいてケア目標の決定を行う。
・目標にてらしてケアの効果判定を実施する。

A集団を対象とする場合

集団を対象とする場合の疫学の役割を、一次予防、二次予防、三次予防の観点か ら整理する。

○一次予防
 ・人間集団における発生要因群を経時的に把握する。
 ・把握した発生要因に係わる知見を集約してハイリスク群を同定する。

○二次予防
 ・サーベイランスを通じてケアニーズの変動状況を把握する。
 ・ケアニーズを持つ対象群を絞り込んで、看護介入(ケア提供)の実施の効率化を 図る。

○三次予防
 ・モニタリングにより看護介入の状況を把握する。
 ・看護介入の効果を判定する。

(2)疫学および臨床疫学の看護への応用における検討課題

 先にも指摘したとおり、医学が生物学的・生理的な過程を重視するのに対して、看 護学では心理面を含む患者の訴えやQOLそのものを重視していることから、医学領 域で発達してきた疫学の看護領域への応用を進める上では様々な検討課題が予想される。ここでは、今回の研究を通じて明らかになったいくつかの事柄について述べるこ ととする。
 ・看護職における保健婦の視点と臨床看護婦の視点の差異疫学で把握する、患者/母集団の分母とする母集団としては、保健婦では健常者を 含む地域住民、臨床では患者集団とすることが多いこと。この違いを常に明確にしておくことが必要である。
 ・教育において看護での応用事例を用いること
疫学的手法の説明では、看護における疫学の応用事例を利用することが決定的に重 要である。また、この基盤として、基本的な統計学の理解が不可欠である。
 ・バイアス
 バイアスとしては、情報バイアスと選択バイアスが主なものであるが、バイアスと なりうる現象は、具体的なテーマ・方法による研究での考察を通じて、その存在が 明らかになったという経緯がある。従って、看護においてどのようなバイアスが問 題となるかは、具体的な研究に即して従来の知見を十分に踏まえた上で、考究する 必要があると考えられる。
 ・測定に伴う対象の変化
 疾患のリスクファクターの測定(検査や調査等)が疾病の進行へ及ぼす影響は、あ まり重視されてきていない。しかし、看護においては「人々の反応を見る」ことが 特徴であるため、「見る」という行為に伴う測定の不確実性が問題となる。見藤は、 人との面接経験の深まりから、「深い面接であればあるほどその人の心をとらえるこ とができなくなる。つまり、その人にとっての真実の感覚や感情は、それが表出さ れたとき元の姿のままではなくなる」と述べており、ある「調査研究で悲しみを持 っている人が何人というような種類のものに出くわすと戸惑いを感じてしま」い、 「この種のものは、調査結果がどう患者に役立つのか分からない」という重要な指 摘を行っている。つまり、対象を測定することにより、測定したい内容自体が変化 を被ることがあり、結局何を測定しているかが当初の意図とは異なってくる可能性 があるというのである。疫学的方法の応用において、この問題はさけられない。
 ・疾病の自然史に伴うケアニーズの変容の分析
 疾病の自然史とは、ある疾病の発症から完結にいたるまでの経過のことをいう。多 くの疾病は、一定のはっきり区別できる段階をいくつかもっており、これらをまと めて指す概念 である。看護は、この疾病への人間の反応を重視するものであるから、 疾病の自然史に伴うケアニーズの変容を想定することは自然であり、その解明を図 ることは重要な看護疫学のテーマであると考えられる。このケアニーズを捉える上 で重要な要素としては、疾病の随伴症状、徴候、所見、障害、情緒的反応、痛みな どの患者の訴え、QOL、自己決定のセンス、自立程度への満足度、自己の望む生 活の実現可能性の程度と実現程度等が考えられよう。
 ・アウトカムとリスクファクター
 従来、疾病の発症や死亡等の蓋然性を増加させる属性や曝露をリスクファクターと して呼んできた。看護においての類似概念の検討が必要である。また、そのリスク ファクターが関与する看護ケアニーズやアウトカムを明確にしておくことが重要で ある。なお、臨床疫学では病気の転帰としてFive Ds(Death,Disease,Discomfort, Disability,Dissatisfaction)を挙げている。
 ・要素と場
 豊川は、自身の長年にわたる公衆栄養学の研究を通じて「場と要素」の理論を提唱 している。そして、ある理論体系には、それを構築するための材料が必要であり、 これを「理論体系の構成要素(element)」と述べている(文献24)
この具体例として、豊川は栄養学における構成要素と機能領域の関連および要素、 説明できる現象、空間の広がり(場)の関連として資料15をあげている。つまり、 着目する場に対応する、他から区別される適切な要素を探求し、その場と要素に応 じて要素の振舞いから妥当な説明ができる現象があるという優れた見方を提案して いる。
私は豊川先生自身から、場と要素の妥当な組み合わせを同定する普遍的な方法を考 えるのではなく、自身の研究テーマに即して場と要素を選択すべきであること、優れた研究では要素が明確に設定されていることを学生時代に教わった。
 今回の研究期間において先生から「看護学の構成要素と人間行動・機能領域」と題 する、大変示唆にとむ指針をご教示いただいた。(資料16)構成要素は、物質、五感、言語、心であり、それぞれに応じて場(機能する領域)として、遺伝子・細胞・ 組織レベル、身体(個人)レベル、人間関係(社会)レベル、精神・世界観レベル を対応させている。それらの要素で説明できる人間行動として、基礎医学的領域、 看護手技領域、心理的看護領域、人格的看護領域が区別され、まさに看護が働きか ける領域に相応して考えられた、初めての「看護における場と要素」のアイデアで ある。これは、よく知られているマズローのニーズの段階論とも合せて、今後の看 護研究の進展にも大きな方向づけを与えるものとして重視したい。そして、実際の 看護研究における場と要素の設定の実例を分析したい。
 ・看護ケアにおける個別性
 看護において主に疫学が重視されるのは、患者の個別性を考慮した適切な看護ケア の実施の場面における臨床疫学の活用であろう。では、具体的に対象の個別性とい う場合、考慮すべき要素は何か、どの範囲まで考慮すべきかの問題に直面する。
 看護ケアにおいては、個への対応を重視して、多くのアセスメント視点(項目)が 実際に使用されている。この中から、ある具体的な健康課題を持つ患者を対象とし た臨床疫学的研究により、どのような要素がアウトカムの関連要因となるのか、そ のうち看護ケアの実践で具体的に考慮できる、限られた効果的な要因を位置付ける ことが必要である。
これに関連して、林は「患者のQOLと治療の科学化」と題した論文で、多次元的 な人間の健康状態の表現に基づく、最適制御としての治療のあり方について考察を 行っており(文献25)、看護ケアの有効性を検討するための科学的手法の1つとし て、今後検討すべき価値は高いと考えている。

(3)わが国における看護疫学(仮称)の体系に関する試案の作成

 収集・分析した資料に国内の研究者を対象として実施したヒアリング結果を加え、わ が国における看護疫学の体系に関する試案を作成した。(図表8
作成にあたっての基本的な考え方は「EBNの充実のためには、疫学の基本を身につ けることが不可欠であることを理解させること」であり、このためには「基礎的な概念 と方法の理解に、看護における事例に基づいて説明を加えるべきこと」とした。また、 臨床での活用を重視すべきことから「従来の疫学と臨床疫学の内容を含むべきもの」と した。これらの基礎的な学習を通じて、看護への応用としての疫学の意義と方法論につ いての理解が進むことが期待される。
                                                      

2)看護情報学の教育内容と方法等の検討

(1)基礎的な概念の整理

まず、基本的な用語を巡って、私見を交えて整理をしておく。

@看護情報学とは
 看護情報学を「人々の生活を支援するために、看護ケア・看護研究・看護教育・看 護行政等、看護のすべての分野で扱われるデータ・情報・知識を、情報処理と通信 技術を活用して、その分野の目標に最も効果的に利用する方法を研究する看護学の 一分野」と定義したい。

Aデータと情報について
 医療情報学や看護情報学の文献では「データ+判断(価値づけ)=情報」という定 式化が行われている。まず、何らかのデータがあり、これにある判断を通じて価値 を加えたものが情報となるという考え方である。データを情報処理し、情報とする とも言えよう。この考え方の背景には、データを受け取る人が、何をしようとして いるかという「目的」と、その人がデータを解釈するために備えている「知識」に よって価値が決まるという考え方がある。この重要な点に関連して、データ解析の 研究者から指摘されているデータに関する2つの論点を資料1718に紹介した。
 これらの指摘をも考え合せて、データと情報の考え方の整理を以下に試みた。なお、 データは我々が獲得して具体化するものであり、データとするまでの過程について まとめた。(図表9)データを、単に与えられたもとと見るのでなく、我々がある目 的のものに作りだしたものという原則を理解することを重視したい。また、看護学 における情報理論活用の妥当性に関する検討も重要な課題である。
 ・専門職は、あるデータをその専門職の視点で活用する。つまり、ある対象に関す る同じ特性について特定の方法で表現したデータであっても、そのデータが意味す る内容は専門職により異なりうるものである。
 ・データの意味づけまでの過程を考えると、対象を明確にする→その対象に関する ある特性を特定の操作的方法により具体的に表現する→専門職の観点から意味づ けを行う、という段階が区別される。
 ・一般的にデータという場合、ある対象の、ある特性に関して、特定の操作的方法 により具体的に表現された記録を指していると考えられる。
 ・この記録自体は、表現しようとする対象特性、用いた操作的方法、対象特性とデ ータの対応という事を踏まえて初めて妥当な性格づけができ、この性格を持ったデ ータについて、専門職の視点からの意味づけが行われていると考えられる。
 ・専門職には、データの意味づけを明らかにする立場と、意味づけが明らかなデー タを情報として利用する立場が区別できる。
 ・データの意味づけを明らかにする立場は、研究的立場といえよう。新たに、ある 対象のある特性を操作的方法により記録として表現することを行う立場で、これに は、その特性や用いる操作的方法に関する専門的知識や技術が予め必要となる。そ して、データ解析を通じて得た知見を既存知識と統合して、データの持つ意味を探 求し、その充実を図るものである。
 ・意味づけが明らかなデータを情報として利用する立場は、臨床的立場といえよう。
自分ないし他者が実際に得た、ある性格を持ったデータについて、その意味づけを 情報として臨床に活用する立場といえる。
 ・従って、データとして表現されるまでの過程を忘れず、その性格づけを常に認識 し、そのデータがもつ臨床上の意味を活用しているということを明確に認識するこ とが重要である
 ・以上をまとめると、専門職が扱うデータは、その性格づけに応じた意味内容を持 つものであり、その性格を理解できることがデータを情報とすることの意味である。
従って専門職は、データの性格づけを理解でき、ある性格を持つデータに応じた意 味を専門的知識として知っている必要がある。そして、あるデータが記録として既 に存在している場合は、専門職はその性格づけを把握し、それに応じた意味づけを データに与え、実践等に活用するということになる。また、自らがデータを得る場 合は、データの活用目的に対して妥当な性格づけを行い、それに応じた意味づけを 情報として活用するといえる。

(2)看護情報学の教育内容について
 収集した資料にもとづき、大学教育(4年課程)における看護情報学の教育内容の 案を、学部レベル(1年、図表10)、学部レベル(3〜4年、図表11)に分けて提案 した。また、大学院(修士)レベルについても提案した。(図表12
 既卒の資格者については、そのレベルに応じた、より細分化された内容の教育が望 ましいと考えられるが、実際の学習ニーズにそって、発展しつつある情報技術を活用 した教育機会の確保や教材の充実等が重要となる。

(3)看護情報学の教育方法について

@教育機関における教育方法

 ・教師による直接的な指導が有効な学習内容と自己学習が有効な内容との選別を、 予習、複数の区別も考慮に入れて行う。なお、予習、復習の活性化のために、自己 学習に適した、WebCT等のオンライン教育システムの活用を進めることが望ましく、 このためのコンテンツの充実が課題である。この例として、シェフィールド大学の 講義資料やreaderの内容は貴重である。
 ・座学、演習、自己学習の効率的な配分を検討する必要がある。
 ・自己学習教材を充実すること。現在でも、一部の研究者によりCAI教材等が開 発されているが、より民間等との共同による、効率的なコンテンツ作成を推進する 必要がある。また、存在する教材について、オンラインにより共有化するシステム 作りが早急に望まれる。

A生涯学習における教育方法

 ・欧州のサマースクールに関する資料を踏まえて、専門職と現場実践者とが、数日 間の合宿生活を通じて、自由に交流し、議論しあう場を設定すること。
 ・具体的な成果が得られる方法を採用すること。
 ・わが国の日本循環器管理研究協議会は、1968年より世界各国のもちまわりで、世 界の疫学・予防研究の専門家による「循環器疾患の疫学と予防に関する10日間国 際教育セミナー(通称:テンデー・セミナー)」が開催されていることにならって、 1988年より毎年「日本循環器病予防セミナー(ファイブデー・セミナー)」を実施 している。これは10名程度の講師の講義を中心とした合宿形式で、参加者は40 人前後である。
 ・また、本年度の日本医療情報学会(平成12年11月22日:浜松)において、看護 領域チュートリアルとして、看護情報学に関連する内容の先駆的な取り組みが既に 実施されており、参加者(約80名)の反応も大変よかった。(チューターの1人と して参加。計5人)コンピュータや情報に係わる学習は、時間に余裕を持たせるこ とが重要であることを実感した。今回は、一方的な講義形式であったが、参加者の ニーズにそって、グループ別に演習を中心とした方法で行うことも、十分検討の意 義があろう。
 ・情報技術を最大限に活用すること。オンライン遠隔教育システム、テレビ電話や 既存のインターネットサービスを組み合わせ、低廉にいつでもどこでも学習できる 環境整備を進めることが有効と考えられる。

4.EBN、看護疫学および看護情報学に関する資料集の作成

 本研究を通じて収集した多くの情報については、資料、図書一覧としてまとめたとこ ろである。これらの中には、わが国で初めて紹介されるものもあり、看護系大学におけ る今後の看護情報学および疫学の看護への応用を検討するための基礎資料としての価値 は高いと思量するものである。
                                                         

目次へ戻る